病気の発覚・・・
私は、三歳児健診で腎臓の病気が発覚しました。
その日から、私そして家族の病気との生活が始まりました。
食事制限があり食べたいものも食べられない、運動制限のため運動会はいつもテントの下、体育はいつも記録係、遠足は母に休憩ポイントまで連れて行ってもらい参加・・・・。
我慢の日々が続きました。
そんな生活が18年間続いたある日・・・・ついに私の腎臓は悲鳴をあげ「腎不全」になってしまいました。
とてもショックで泣きそうでしたが、泣いている暇もなく透析をするため腕の血管の手術を受けました。
1週間に3回、1回3〜4時間の人工透析が始まりました。
透析の針は爪楊枝程の太さがありとても痛く苦痛でした。
食事制限は更に厳しくなり、水分制限も加わりました。
仕事終わりに病院へ行き、透析を受ける生活はとても辛かったです。
次第に尿も出なくなり、どんどんやせ、貧血も進み、仕事もまともに出来なくなってきました。
同じ時間を過ごすなら、泣いて過ごすより笑って楽しく過ごしたい!
そう思っていた私も、どんどん体調が悪くなるに連れ“なんで私だけ?”そう卑屈になる時もありました。
けど、どんなに辛く嫌になっても、この生活をしなければ生きていけない、言い換えればこの生活をすれば生きていけるのです。
この頃の私は、1日1日を生きるのに精一杯でした。
「闘病生活」の転機
透析生活も4年が経った頃に、夢のような話が舞い込みました。
通っていた病院で
“腎移植に力を入れている仲間の医師がいるから、生体腎移植を受けてみないか?”
と声をかけられたのです。
私自身、透析生活が始まった時に移植のドナー登録をしていたのですが、全国には当然移植を待っている人が沢山いるうえに、脳死の判定も問題視されていて献腎(死体)移植が回ってくる事は奇跡に近いような状況でした。
生態腎移植は、健康な方から1つ腎臓を頂いて移植するのです。
私は今の生活から抜け出したい、皆と同じ様に普通の生活がしたい!という気持ちで一杯だったのですが、私の為に今まで苦労かけてきた家族に、更に体を傷つけ臓器をもらう事に物凄く抵抗がありました。
この話を家族にしたところ、躊躇するどころか“娘が楽になるのなら!”と即答でした。
今まで散々苦労かけてきたのに・・・・とても嬉しくて言葉になりませんでした。
家族の愛情って本当に凄いなと身をもって感じました。
そして私は生体腎移植を受け、父から新しい命を頂き第二の人生をスタートすることが出来ました。
移植後は、何もかもが新鮮で別世界に来たみたいでした。
食べたいものが食べられ、水が飲めトイレにも行くようになりました。
日々の時間にも心にも余裕ができ、体力もつき適度に運動も出来るようになりました。
職場のご好意で仕事にも復帰させて貰いました。
私だけでなく家族も楽になりこれまで以上に笑顔が増えました。
毎日が楽しくて、今までの生活が嘘のようでした。
病気になって良かったとは思いませんが、病気になった事で得た事は沢山あります。
病気になったからこその出会いもあります。
見る・聞く・食べる・飲む・歩く・喋る・・・
皆が毎日普通にしている事、それは体のどこかが1つでも健康でなかったら成り立ちません。
普通=当たり前ではなく、当たり前だと思っていることが実は一番素晴らしい事なのです!
その事に気付けたことは、私にとって宝です。
健康で何の不自由も無く生きてきた人にはきっと分からない事だと思うのです。
健康のすばらしさ、命の大切さ
現在移植して7年が経ちました。
お陰様で現在も、頂いた腎臓は私の体で元気に働いてくれています。
7年前までは色々なことを当然のように諦めていました。
もちろん結婚・出産も・・・。
しかし、幸せな事にいい人に巡り会い子供にも恵まれ、今では1歳のやんちゃ娘の育児におわれ忙しい毎日をおくっています。
自分の体調管理に育児・・・・とても大変ですが、子供を産み育てることが出来る幸せを感じています。
以前はその日を生きるのが精一杯で先の事は考えられませんでした。
けど今は、1日を精一杯生きるのは勿論、親や夫、娘の為にも1日でも元気に長く生きられるよう先の事も考えながら2つ目の命を大切にしています。
私の経験を通して、一人でも多くの人が健康の素晴らしさ、命の大切さに少しでも気づいて貰えればと思います。